2018年05月31日

私に夢を!

 「私たちには経験値がある。」と、ある選手が試合後に話したと今朝の新聞に載っていた。寂しい話だ。私には、「私たちには経験値しかない。新しいものは何一つない。」という選手の悲痛な声のようにしか記事を読めなかった。
 このブログは、ワールドカップ・メンバーを発表する前に書いている。ガーナ戦を終えて、今、私はロシアの大地でサッカーを愛する国民の大声援を大きなエネルギーに変えて、堂々と戦っている我が代表チームの雄姿を想像できないでいる。
 日々進歩し続けるサッカー界では、前回のワールドカップ代表チームに、何か新しいものを付け加えないままに勝ち進むことは考えられない。前回大会でチームの中心であった選手たちにこの四年間でどんな力が加わったのか。テレビを通じて観戦した限りでは、私には何も感じられなかった。チームとして、どんな新しい武器が備わったのか、どんな新戦力が威力を発揮したのか、私にはトップを務めることの多い大迫の他、見て取れなかった。どんな新しい戦術なり考え方なりで世界のサッカーに新風を湧き上がらせようとしているのか、全く見て取ることができなかった。総じて言えば、私はロシアの大地に夢を見ることができないでいる。
 西野監督は、私たちにどんな夢を見せようとしているのかが全く想像できないのだ。最低限のノルマをなんとかクリアしようとだけしている“中間管理職”のイメージが浮かんでくるだけだ。新しいものに挑戦する時間がないというのなら、なぜそんなタイミングで監督を交代させたのか。
私は、前監督が表明していた“デュアル”の結果を見届けたかった。日本サッカー界にとって新しいものだったからだ。上手くいかなくっても、その失敗を次のチャレンジに生かせば進歩につながる可能性があったからだ。思えば、外国人の代表監督にはいつも何か新しいものがあった。当たり前のことだが、新しいことへのチャレンジが成功を保証しているわけではない。彼らのチャレンジは、ビジネスとして自分の評価を上げようとする動機があったのかもしれない。しかし、それは少なくとも夢をもたらしてくれていた。世界のトップと戦うためには、その時点の日本代表チームには目に見えては顕在していない新しい武器を付け加えることが絶対必要だという意思を感じることができた。一方、日本人監督は、今ある戦力で最大限の成果を残すためにはどうすべきかという思考を感じてしまう。そこには、私は夢を見ることはできない。
 サッカーの喜びって何だろう、スポーツの素晴らしさって何だろう、という本質を忘れてしまってはいけない。私は、“夢を見ること”だと思う。新しいことにチャレンジする夢、新記録を出す夢、新記録を見る夢、選手がシンクロして瞬間見せてくれる驚異的なパフォーマンスに立ち会うこと、スポーツはそんな夢を与えてくれるからこそ、夢の実現よりはるかに数多い失敗や挫折や敗北にも耐えられるのだと思う。スポーツの価値は、巷間よく言われるような、その“教育的”な側面にあるのでは決してないと私は考えている。人間にとって、もっと本質的な、原初的な感覚にこそスポーツの喜びはあると思う。少なくともノルマの達成にスポーツの喜びはないことだけは確信できる。
 監督の交代劇の時、日本サッカー協会会長は、1%でも勝つ可能性を高めるためということを話していたと思う。私は、監督を交代させるほうが、国民にもっと夢を見てもらえる、もっとスポーツの喜びを感じてもらえるサッカーができると判断したと言ってもらいたかった。
 ところで、勝つ可能性を高めるために監督を交代させたのなら、当然勝てなかったら責任を取って会長を自らクビにするのでしょうね。それがフェアな態度ですよね。それとも、可能性と言ったので、結果とは言っていないとか、監督をまた交代させて、日本サッカーを進歩させるのが私の責任だなどと、どこかの首相や大臣みたいなこと言わないですよね、スポーツマンなのだから。
 さて、日本代表のメンバー発表だが、西野監督、あらためて私たちに夢を見させてくれる選考をしてください。前回大会より“個の力”を増幅させていない選手の選考は最小限にして、新しい可能性があるかもしれない選手を多く選考してください。そして、今、世界には存在しない“西野メソッド”を大舞台で試してください。、そのほうが、少なくとも私は、2022年の夢を見させてもらえるのですが。経験値が大事なら、新しい選手たちにロシアで経験値を積むチャンスを与えてください。そう、心から願っています。
 最後に弁明しておきます。一つは、ガーナ戦後の大きな落胆のなかで慌てて書いたので文章の推敲が全然できていません。乱文をお詫びします。もう一つは、このブログは私の全く個人的な感想です。当クラブの公式見解ではありませんので、その点ご了承ください。
  


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2018年05月28日

白と赤

まさに“衝撃的”としか言いようのないゴール・シーンばかりであった。ジダン監督は、就任から3年連続のヨーロッパ・チャンピオン。凄すぎる。有料放送を観る経済的余裕がないため、C・ロナウドのプレーをテレビで観ることはほとんどありませんが、この日観た彼のプレーは、ユニフォームの下に隠されているのは、本当に生身の人間であるのか疑問に感じてしまうような、金属的な機械的な動きであった。思い浮かんだのは、そう“エイトマン”。知っている人は少ないでしょうね。一度“エイトマン”の映像を探して観てください。きっと同感してもらえると思います。
あの日、私は、午前4時半くらいには起きて、後半からでも観戦しようと考えていました。齢を取ってくると朝が早いので、目覚まし時計に頼らなくても起きられると思っていたのでした。ところが、普段よりも眠りが深かったのか、妻に起こされてテレビをつけたら、何とすでに後半のアディショナル・タイムに入っていました。画面では、白と赤のユニフォームが対戦していました。すぐに白がレアル・マドリッドで、赤がリバプールと分かりました。
そして、そのユニフォームの色は、単に両チームを識別するだけのものではないということも、サッカー関係者なら誰でも理解できます。ユニフォームは、特にその色は、そのクラブの歴史であり、全サポーターのエネルギーを一つにまとめる旗印であり、クラブのアイデンティティの象徴そのものであるのです。だから、どのクラブもホーム・ゲームでは、基本的にはその色のユニフォームを着るのです。そして、ユニフォームのデザインの細部は変遷していっても、ベースになっている色を変えることはないのです。それは、許されないことなのだろうと思います。
では、あるクラブのユニフォームの色が、なぜその色になったのでしょうか。分かりませんね。分からないけど、どのクラブもその誕生は、少数の同好者でスタートしたのではないでしょうか。その時、たまたま何かの事情で、ある色になってしまった。そして、クラブがだんだんと成長するにつれて、その色に何らかの意味が付与されていった。そんなクラブが多いのではないでしょうか。いろいろな“神話”は後から付け加えられていった、そんなケースが結構あるのではないかと推測します。
我が海南フットボール・クラブのユニフォームの青黒の縦縞も、そんなケースの一つです。クラブが創設された頃は、他チームとの識別の意味合いが強く、時々色が変わっていったと記憶しています。現行の縦縞になったのは、ちゃんとしたクラブを目指すのなら、ユニフォームの色を固定しなくてはいけないということになり、それではどんな色にしようかと話し合いました。しかし、当然それぞれに好みがあり、そんなに簡単にまとまるはずがありません。そのうち何かの拍子に、その時とても強かったインテルみたいにしようと言い出す奴がいて、何となくそうなってしまったというのが、私の記憶です。だから、現在のユニフォームの色にもともと特別な意味が込められていたわけではありません。
しかし、一度固定されてしまったら、時間が経つにつれて、そのユニフォームにクラブの歴史が自然と織り込まれていって、クラブのアイデンティティを象徴するものに育ってきたのです。今や県内では、青黒の縦縞を見たら誰でも海南FCとその成績や雰囲気を思い浮かべてくれるのではないでしょうか。好き嫌いや好みの問題では、すでになくなっているのです。今更、色を変更することはできないのです。もし変更するとすれば、それは、まもなく創設50年を迎えようとするクラブの歴史と、現在のクラブのアイデンティティそのものを否定することにしかならないからです。時間が積み重なって、過去から現在に続く会員のサッカーを楽しんできた歴史が、すでに神聖なものとして青黒の縦縞のユニフォームに染みこんでしまっているのです。
だから、クラブの一員であるなら、できるだけ試合では青黒の縦縞を着なくてはいけないのです。ユニフォームに袖を通すということは、いわば自分のクラブへの帰属意識とプライドの表明であり、クラブに対する信仰心と忠誠心の発露でもあるのです。それは、どのクラブでも同じです。だから、試合は現在のチームの対戦でありながら、同時にユニフォームに染みこんでいるクラブの神話を背負った神聖な戦いにもなるのです。
今年のヨーロッパ・チャンピオンズリーグ決勝戦もまた、白と赤の神聖な戦いであり、あの試合は新たな神話の一部になっていくのでしょう。
  


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2018年05月20日

デザイン

 今年の「きのくに海南歩っとウォーク」に参加してくれたソラティオーラの会員は、大会の冊子に氏名が記載されたのが162人と、団体参加の中では最多であった。こんなに多くの会員が参加してくれたのか思うと、本当にうれしくなる。今年は、各カテゴリーの日程の都合で全員初日の19日(土)の参加となった。すると、距離によって出発時間は異なるものの、総合体育館の付近では青黒ストライプのプラクティス・シャツがやけに目立った。ここにもそこにもソラティオーラの会員がいるということが一目瞭然なのだ。なんか大会の主役になったようで、なんとなく誇らしくも思えてきた。
 その総合体育館前のブースに、今年もシャウトがフランクフルトとスーパーボールすくいの模擬店を出してくれた。シャウト会員が多く参加してくれている。私ももちろんフランクフルトをいただいた。スーパーボールすくいをやる勇気はなかったし、誰も勧めてもくれなかったのはちょっと残念だった。
 シャウトは、県内にママさんサッカーのチームや大会はあったが、一般女子のチームも大会もなかった1987年(今から30年前)に、中学生以上の女子なら誰でも入れる県内初のチームとして、その少し前まで私が勤めていた海南高校サッカー部の女子マネジャーを中心に結成したものだ。年月は流れたが、現在も県内には一般女子チームは一つだけだ。
 そんなこともあって、和歌山国体が近づいてくる中で、シャウトが県女子選抜チームの候補選手のための強化指定クラブになった。補強選手も登録してくれたおかげでチーム力は格段に上がり、関西女子リーグの1部まで昇格できた。しかし、チーム関係者には強化指定を受ける時から大きな不安があった。それは、国体が終わった後、補強選手たちがどれだけシャウトに残ってくれるのだろうかという心配であった。国体後、その不安は当たってしまった。補強選手の中には、もっと上のレベルを目指す人もいたから、そのような思いを持っている人からすれば、練習回数も、サッカーにかける思いも、もともとシャウトに所属していた人とは違いがあって当然である。これは、どちらが良い悪いの問題ではもちろんない。シャウトに残ってくれた補強選手もいたが、大半はチームを離れていった。
 国体前から予想していたことではあったが、シャウトの再建という、クラブにとっても、シャウトにとっても、国体強化以上の困難なミッションに取り組んでくれているのが、現在のスタッフとプレーヤーの皆さんなのである。
 “誰でも参加できるクラブ”という、ソラティオーラの基本方針を受けて、シャウトを“デザイン”し直すことが必要であった。ソラティオーラという枠組みの中でのチームの位置づけ、現状での戦力とチームの目標、練習会の設定と練習参加の可能性、若い会員の募集、スタッフの人選と依頼、県女子サッカー界でのシャウトの役割、などなどの様々な要因が複雑に絡み合う中での、シャウトのこれからをしっかりと“デザイン”し、少しずつ着実に前に進みながら、時々は“デザイン”し直していくというたいへんな作業を担ってくれている。
 シャウトにU-15クラスをスタートさせ、各地の中学生に声をかけて参加を募る。新たに火曜日に練習会を設定する。思った以上の会員が参加してくれているように思う。現時点では、今シーズン何とか関西女子リーグ2部を維持してもらいたいと願っている。
 冒頭の「歩っとウォーク」でのシャウトの模擬店の話に戻るが、その取り組みもシャウト再発展のプロセスの一環としてのイベントであると私は理解している。模擬店ブースのテントには、スタッフとプレーヤーのほとばしる思いが熱いエネルギーとなって蓄積されつつあるように感じられた。
 ソラティオーラ会員の皆さん、シャウトのチャレンジに力強いサポートをお願いします。
  


Posted by Okuno at 15:39Comments(0)

2018年05月14日

ビッグ・バン

5月13日(日)、まだ雨の残る中傘を差し、試合の余韻に浸りながら紀三井寺陸上競技場から駐車場へ歩いている時に、私の心に浮かんできたのは“ビッグ・バン”という言葉だった。

天皇杯県予選決勝戦、アルテリーヴォに1点リードされ試合終了まで5分を切っていたと思う。相手ゴールに向かって左側ペナルティー・エリア角からそんなに遠くない地点で得たフリー・キックをヘディング・シュート。ゴール・キーパーが左に倒れながらなんとか防いだもののルーズ・ボールとなってこぼれたボールをゴール・エリア内から押し込んでゴール。

昼前から雨が強くなる中、クラブの代表として応援にいかなくてはと思い、悪天候のためにやや気持ちが進まないまま(ごめんなさい!)に家を出たが、試合開始直前のスタンドに入った時、自分の目を疑い、一気に気持ちが高ぶって来た。何百人という多くの人が、この雨の中応援に来てくれていたのだ。エスコート・キッズを務めてくれた子どもたちと保護者、大会が中止になったため急きょ応援に来てくれた3・4年生の子どもたちと保護者、練習を終えてから、または練習試合の後、会場に来てくれた小学校高学年の選手やエンジェルスの選手たちとスタッフ、試合に出場する選手の家族や知り合いの方。本当にありがとうございました。トップ・チームの選手たちにはとてつもない力となったことでしょう。

スローモーションを見ているかのように、ゴール・エリアの中で誰の支配も受けずに自由にゆっくり転がっている直径20㎝あまりの球体に一番先に触れたのは、白いアウェーのユニフォームに身を包んだ我が海南FCの選手だった。倒れたまま、なおもゴールを死守すべく伸ばしたゴール・キーパーの左手の指先と、なんの感情も持たずに次の瞬間を見守っているかのように泰然と直立している白いゴール・ポストのわずかな間隔を、自分に最初に触れてくれた選手の意志をそのままに受け入れたボールが通り抜けた、まさにその瞬間に“ビッグ・バン”は起こった。

およそ1,000の瞳が、誰の指示もなく無機質なボールに焦点を合わせる。その視線に込められた思いを喜んで受け入れたかのようにまるで生命体のように自らの意志で白いゴール・ラインを通り過ぎた。その瞬間、両手を突き上げる者、立ち上がり大声を発する者。その場に居合わせた全員が瞬時に“ビッグ・バン”を創出させたのだ。プレーする者と応援する者という関係ではなく、お互いに名前も知らない観戦者という各個人という存在ではなく、ゴールの瞬間の喜びを共有する“場”を、それまでの時の流れとは無関係に、まさに突然に創出させたのだ。
チームのよって立つ基盤、プレーヤーの来歴・社会的地位・家族関係、応援に来てくれた人の抱えているはずの事情、そんな諸々の背景やここに至るまでの個々の経緯を、誰の意志もコントロールもなく瞬時に“無”にし、膨大なエネルギーを瞬時に一斉に放出し、サッカーの喜びの宇宙を創出する“ビッグ・バン”を私たちは共有し、経験することができた。これを至福と言わずなんと言うか。

サッカーの、そして多分スポーツの本当の物凄さは、その瞬間にある。
私は、そのことをある本を読んで知識としては知っていた。
『フットボールの新世紀 美と快楽の身体』(今福龍太 著、廣済堂出版、2001年発行)から紹介する。
- 「結果」ではなく、ましてや「過程」でもなく、私がサッカーで愛したいのは「いま」である。時の流れ、感情の流れ、思考のとどまることなき流れの中で明滅し、閃光を発し、たちまちにして消え去る「現在」という、瞬時の強度に満ちた生々しい「いま」そのものである。「いま」が時の深みを生み出し、プレーヤーの身体的アートに厚みをもたらすという事実への、無私の愛である。-

写真もない、硬い文章になりましたが、たまにはこんなことを考えてみるのも、また、サッカーの楽しみだと思います。
  


Posted by Okuno at 11:07Comments(0)

2018年05月04日

2018アウトドア・パーティー

普段はカテゴリー別に活動しているソラティオーラの会員が、一堂に会して交流し親睦を深め、クラブの一体感を高める活動が年に2回あります。春の「アウトドア・パーティー」と、秋の「ソラティオーラ・フットボールデー」です。
2018年度のアウトドア・パーティーは、昨年好評だった“黒沢ハイランド”で今年も開催させていただきました。メイ・ストームと呼ばれた前日の雨がいつまで残るかとやきもきしましたが、みんなの気持ちが天に通じたのか、当日朝にはすっかり雨が上がり高原には爽やかな風が吹いていました。(本当に日ごろから良い行いをしておくものですね。天の神様はちゃんと見てくれています。)
気がはやり、集合時間を待ちきれないのか、11:00受付開始と連絡してあったにもかかわらず、一番早い人は9:30過ぎにはすでに会場に到着していました。(アウトドア・パーティーをそんなに楽しみにしてくれているとは、本当にうれしいです。)
今年の参加者は、大人125人、中学生以下の子ども160人、合計285人でした。おそらく、クラブ史上最高の人数であったと思います。ソラティオーラを愛してくれている人がこんなにたくさんいるなんてと感激しています。

中学生たちも火おこしに悪戦苦闘しながらも準備を進めていくのと並行して、12:00ジャストに参加者全員で、「今年もソラティオーラでサッカーを楽しもう」と、クラブ愛を確認しながらの“乾杯!”。ジュージューと音を立てているお肉やソーセージなどの食材をほおばるのを待ちきれません。
お腹が膨らんだ子どもたちは芝生広場へ一目散。芝生滑りやバットとボールを借りて野球に興じる子どもやアーチェリーにチャレンジしている子どももいました。みんな体を動かすのが大好きですね。
そろそろ恒例の“大ビンゴ大会”です。「ビンゴ始めるよ」の一声だけで、広場に散らばっていた子どもたちはいっせいに集まってきます。まるで、牧羊犬に誘導されているかわいい羊たちのようです。
さあ、大興奮のビンゴ大会が始まります。

あっと言う間に半日が過ぎていきました。私たちのアウトドア・パーティーに会場を提供してくれた黒沢ハイランドのご厚意に心から感謝しつつのお開きとなりました。
みなさん、会場をきれいに片づけて帰りましょう。来年もまたここでアウトドア・パーティーやりたいですね。


  


Posted by Okuno at 10:16Comments(0)