2016年11月17日

2016全少県大会観戦記

 優勝候補にも名前が挙げられていた“KFCジュニア”であったが、準々決勝戦で“PK戦”の結果、惜しくも敗退した。
 対戦相手のアルテリーヴォ湯浅に対して、全般的には押し気味に試合を進めたが、前半DFラインの背後に出されたバウンドボールに反応して飛び出したGKより一瞬先に相手FWに触られ失点した。対戦前から、ひょっとしたら事実上の決勝戦になるのではないかと予想していたが、実際、チーム力は拮抗していたと思う。そのような相手に対して、トーナメント戦で先取点を奪われるとたいへん厳しいゲーム展開になるものだか、我がKFCジュニアは焦ることもなく落ち着いて試合を進め、後半早々に相手と同じような展開から同点に追いついたのはさすがであった。ただ、やはり先取点は重く、逆転するところまでは至らなかった。
 長いサッカー人生を歩き始めた少年プレーヤーの試合の敗因を考えても益するところはなにもないと思う。そうではなくて、クラブとしてさらにレベル・アップしていくための材料として、どんなことを目指していけば良いのかは考えなくてはならないと思う。長年、クラブの運営に関わってきて思うのは、今年のジュニアはクラブ史上最強のチームであったということだ。これは、プレーヤーの資質、スタッフのチーム作りに費やした努力、保護者の支援などの総合力の賜物である。
 勝ち進めなかった要因(敗因ではない)はどこにあったのだろうか。サッカーは対戦相手のあることである。アルテリーヴォ湯浅には、たぶん今年県内最高のプレーヤーを中心にしたチームである。その湯浅チームの一人一人が必死になって体を張って、体を投げ出して、カバーしあってボールを奪いに来た。その相手に対してでも、押し気味に試合を進める力が今年のジュニアにはあった。ただ、その相手を崩し切る力まではなかったということだと思っている。
 クラブとしてどう取り組んでいくべきかはスタッフ全員で知恵を絞って考えていかなくてはならないが、その材料として私が考えているのは次のようなことだ。相手のプレーヤーどうしのカバーリングが効きにくいような状況を作り出すために、ポゼッションのレベルをさらに上げていく。そうして、1対1や数的優位の状況を作り出し、そこを突破できる個人技に磨きをかける。もう一つは、ワンタッチ・パスを使って突破するグループ力を養う。オーソドックスな方法はこのようなものだと思う。奇をてらったような方法論は、プレーヤーの成長を阻害するかもしれないし、クラブの指導力も成長しないと思う。
 試合後に私が感じた残念さや脱力感以上のものが、プレーヤー、保護者、スタッフには突き刺さったことだと思う。試合結果については、「これもサッカーだ」という他はない。“敗戦を受け入れる”とは、どういうことだろうか。負けてもどうってことはないと開き直ることではもちろんない。サッカーをやめてしまうことでも当然ない。“敗戦を受け入れる”ことはそれなりに難しい。地区予選で敗退したチームのほうが多い。県大会で優勝するのは、32チーム中1チームだけである。県大会で優勝しても、全国大会で大半のチームはどこかで負ける。プロになっても同じである。サッカーはほとんどどこかで負けるものだ。たとえ世界一になっても、いつかはその地位を失う。負けるのが嫌なら、サッカーをやらないほうが良い。サッカーをやらなければ、サッカーで負けることはない。しかし、負けることに平気になってもサッカーをやる意味がない。なぜなら、サッカーは勝ちを目指すことを基盤に成り立っているものだからである。
 サッカーとは勝つことを目指してトレーニングに励み、試合に勝った時はみんなと一緒になって喜び、試合結果が思わしくなかったときは失意に沈み、それでもまた次に勝つことを目指してトレーニングに戻っていく。それがサッカーを愛するということだと思う。それは、世界的なクラブであっても、少年チームであっても本質的に同じである。
 試合中の一つ一つのプレーをドキドキしながら見守り、一喜一憂しながら歓声を上げ、ため息をもらす。それらのシーンは、瞬間に現れ、次の瞬間には消えていく。残るのは試合結果だけである。しかし、そのプレーの一瞬一瞬にこそサッカーの喜びがある。これは、『フットボールの新世紀 美と快楽の身体』(今福龍太著、廣済堂出版、2001年刊)に書かれていることである。
 あの試合に臨んだプレーヤー、スタッフ、それを見守った保護者、わたしのようなクラブ関係者、その場に居合わせた全員が、その至福の一瞬一瞬を体験したのだと私は確信している。そうであれば、“敗戦を受け入れる”とは、そもそも意味のない言葉かもしれない。サッカーの本質は、試合の結果にあるのではない。一瞬一瞬のプレーに恍惚とするところにある。しかし、一方で私たちは少しでも高みを目指して奮闘し続けなければならない。それがサッカーを愛するということだと私は思う。
 KFCジュニアのみなさん、素晴らしい一瞬一瞬をありがとう。
                                                                            奥野修造
  


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2016年11月03日

2016ソラティオーラ・コーチング研修会 報告

報告者  奥野修造

実施日   2016年10月29日(土)・30日(日)
会 場   海南スポーツセンター
参加者   10月29日(土)13人、30日(日)15人

以下に、二日間にわたって実施した研修会で話し合った内容について、箇条書きで報告する。

「ポゼッション」をテーマにしたトレーニング

◇年少期のスキルを中心にしたトレーニングから、いつ、どのようにしてポゼッションのトレーニングを始めていくべきか、今模索している。
◇スキルとポゼッションの練習比率は、年代によってどれくらいを目安にすれば、プレーヤーの成長を支えていけるのだろうか。
◇練習中、“ストップ”の声で練習を中断して指導しすぎていないか、また、いろいろな要素について指導しすぎていないか。うまくいっていない状況が続いても、ある程度の時間は練習を中断しないで継続することも必要ではないか。
◇パスの受け手の遠い足のインサイドへパスを出すこと、受け手はボールから遠い足のインサイドでコントロールできるようポジションを取り、体の向きを準備することは、ポゼッション・トレーニングの基本中の基本である。年少期から徹底して指導し続けることが大切だ。
◇ポゼッション・トレーニングは、チームでボールを保持し続けることが目的ではない。何のための保持か、実際のゲームの展開に必要などんな要素をテーマにしたポゼッション・トレーニングなのか、テーマに沿ったメニューにする必要がある。
◇エリアのライン上にフリーマンを置いたトレーニングでは、フリーマンの重要性を理解しよう。全体を見渡し、次の展開を予測し、ボールを要求して組み立てる。このような役割を身につけるには、エリアの中に入ってマークを受けながら360度視野に入れることが要求されるより、フリーマンのほうがはるかに身につけやすい。

「突破」をテーマにしたトレーニング

◇自エンドで2対2、相手エンドで2対2として、縦パスを入れることで突破のスイッチとする練習メニューは、スムーズにいかないことが多い。攻撃役の前の2人が、ボールを受ける前の準備、縦パスが入るタイミングの見極め方などいろいろな要素が絡んでくるからだ。もっと単純な練習メニューを工夫していきたい。
◇「突破の基本はワン・ツーである」ことは、サッカーの永遠の真理である。しかし、あまり、というか、ほとんど突き詰めた練習ができていない。指導してみれば、ワン・ツーの奥深さや指導のむずかしさがコーチにも理解できるはずだ。各チームで取り組んでいこう。
◇「ワン・ツー」は、相手ペナルティー・エリア近くでやるのが効果的である。
◇グループでの突破には、その準備段階として、“仕掛け”が必要だ。“仕掛け”には、フリーランとドリブルがある。
◇突破の練習メニューは、成功率をどれくらいにイメージして設定するのが適切なのだろうか。
◇トレーニングではできるようになっても、ゲームではその成果が表れないことがある。トレーニングとゲームをつなげるには、どんな工夫が必要なのか。

ゴールキーパー・トレーニング

指導者   池田佳津彦氏
受講者   セッションⅠ=小学4・5年生 7人  
セッションⅡ=小学6年生~中学2年生 4人
◇まずは、基本の構えとオーバーハンド・キャッチ、アンダーハンド・キャッチから指導しよう。
◇週1回15分程度のキーパー練習から始めよう。

ゲーム分析

◇チームの攻撃パターンを作ろう。どのエリアを、誰がどんな役割で、どんな方法で突破を図るのかを、チームの共通理解として持てば、プレーヤーの連動した動きにつながる。
◇チームの中で、比較的弱いパートを攻撃パターンの中にどう組み入れるのかを工夫しなければいけない。プレーヤーに能力以上を要求してはいけない。各プレーヤーの特徴と資質を生かした攻撃パターンを工夫しなくてはいけない。
◇システムがすべてを決めるわけではないが、両チームのシステムのズレを、コーチは考えなくてはいけない。両チームのシステムがズレているとき、それが自分のチームに有利に作用しているのか、不利に作用しているのかを見極めて対応する必要がある。
◇KFCソラティオーラとKFCジュニアの連動した詰めの速さは、他のカテゴリーでも取り入れていきたい。県大会上位では、必要とされる基準であろうし、チームのレベル・アップには当然要求される要素である。
◇ドリブル突破、スペースへのパス、だけではないチームとしての突破のパターンを作っていくことが、相手チームの速いプレスを打ち破る力になる。
◇ソラティオーラU-12のチームに要求されるのは、相手ボール保持者への距離を詰めていく守備である。プレッシャーをかけられない間合いでポジションを取っても守備にはならない。1対1の守備のできないプレーヤーが、1対2の守備はできない。人数が多くても抜かれるだけである。
◇最終ラインの守備のカバーリングが甘い。センターバックが1対1で負けた時の対応が不足している。
◇個々の力が上回る相手に対して、どのような守備で挑むか、その結果をどう受け入れるかは工夫しなくてはいけない。
◇U-14チームは、次のポジションへの動き出しが遅く、ゆっくりとしている。早く、次のポジションを取ることの重要性を理解させ、ポゼッション・トレーニングを通じて、そのことを身につけていく必要がある。

全体的な総括

このような規模での研修会は初めてのことであったが、外部から権威を持った指導者にアドバイスを請うといった形式ではなく、日々実際のプレーヤーを相手に実施しているトレーニング内容を紹介し、それについて、でさらにレベル・アップしていくにはどんな工夫ができるのかという観点から、自分たちで意見を交換し合うという形での研修会は、たいへん意義のあるものであったと考えている。
上にまとめた課題について、それぞれのコーチがこれからの日々のトレーニングとゲームの中で、悩み、考え、試行錯誤を重ね、少しずつ自分のコーチとしての力量を高めていき、クラブの発展につなげていこうとする実践を続けていきたい。
クラブとして、一貫した指導方針を持つことは当然大切なことだが、一方でどのコーチも同じ指導をしていたのでは、仮にその指導方法に問題があった場合、クラブ全体として他のクラブに後れを取ることになる。また、ある種の“全体主義”のような、およそサッカーらしくなくなってしまう恐れもある。クラブの中に、ある種の異質なものを持った指導者がいることも、クラブの中に多様性を持つことになり、そのことが、クラブの強靭さや健全性を確保していくことにつながると思う。クラブとしての共通した指導方針と、コーチの個性を併せ持ったクラブを目指していきたい。
次回は、話し合いの中でも出た、「ワン・ツーを使った突破」をワン・テーマとしたコーチング研修会を実施したい。それまでに各年代・各カテゴリーでテーマに沿ったトレーニングを積み重ね、研修会に持ち寄って工夫を話し合い、クラブ全体の指導力をレベル・アップしていきたい。
  


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2016年10月24日

ソラティオーラ・コーチング研修会

ソラティオーラ・コーチング研修会第2日の日程・内容を以下のとおり変更させていただきます。
各カテゴリーには、不都合が発生するかもしれませんが、対応していただきたく、よろしくお願いいたします。

期日=10月30日(日)   会場=海南スポーツセンター

9:00~9:50  GKトレーニングⅠ (4・5年生)
10:00~10:50  GKトレーニングⅡ (6・中1・2年生)

10:30~11:00  4年生、ソラティオーラU-11 アップ

11:00~11:55(15分×3)  4年生 ゲーム

12:00~12:55(15分×3) ソラティオーラU-11 ゲーム

12:55~13:15
ソラティオーラU-12、KFCソラティオーラ、KFCジュニア、エンジェルスU-14 アップ

13:20~14:05(20分×2)  KFCソラティオーラ - ソラティオーラU-12

14:10~14:55(20分×2)  KFCジュニア - エンジェルスU-14

15:00~15:45(20分×2)  KFCソラティオーラ - ソラティオーラU-12

15:50~16:35(20分×2)  KFCジュニア - エンジェルスU-14

16:40~16:55(15分×1)  エンジェルスU-14 ゲーム
  


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2016年08月21日

リオ・オリンピック観戦記・最終回

リオ・オリンピックは、大成功の裡にフィナーレを迎えることになった。多分、ほとんどすべてのブラジル人にとって、今回のオリンピックはサッカー男子の初優勝がすべてであるだろう。

ブラジル、優勝おめでとう! 地球の反対側でのテレビ観戦でも、興奮が冷めやらないうちに、終わってみれば何とでも言えるといった程度の感想だが記しておきたい。

前半の終盤からテレビの前に座ったが、これがU-23の試合かと思ってしまう、素晴らしいゲームだった。延長戦を目前にして、リスクを取りにくい状況での両チームの阿吽の呼吸とでもいうようなゆったりとしたボール回しから、いったん縦パスが入ると、攻守ともに瞬間的に集中力が急上昇し、スピードアップする。その状況変化に誰もが反応する。

PKになって、ブラジルのゴール・キーパーは、キッカーがボールをセットしてスタンバイに入ってから、手に持ったタオルをゴール横に置きに行き、時間をかけてからスタンバイする。まるで宮本武蔵と佐々木小次郎の対決のように。しかし、5人目のキッカーに対してだけは、自分のほうが先にスタンバイした。ドイツの5人目のキッカーは、少し目に力が入っていないように感じられた。大会の得点王の一人になったが、決勝戦だけでは途中出場したものの、それほどの存在感が感じられなかった。

優勝を決めたネイマールのPK直後の涙の意味は何だったのだろうか。ブラジル人でも、飛び跳ねて喜ぶのではなく、泣くのだ。もちろん、全くの想像だが、あの涙は、「やっと解放された」という涙ではなかったのだろうか。成功すれば英雄、失敗すれば、PK戦は続くものの、もしその後の展開で負けるようなことになれば、地獄に落とされる。そんな状況からやっと解放されて流した涙。もし、失敗していれば、女子レスリングの吉田選手のように泣いただろうか。私には、ネイマールは泣くことさえ許されなかったと想像してしまう。そんな、物凄いシーンであった。

ブラジルのオーバーエイジ選手の選考と配置。自国開催とはいえ、日本の選考とは違いすぎる。4年後、日本は今回のブラジルのようなオーバーエイジ選考ができるだろうか。日本サッカー協会の幹部の力量はいかに。とは言え、それも含めて私たち日本サッカーの実力なのだ。オーバーエイジの一人、ボランチのレナトのディフェンス力、パス裁き、攻撃参加、どれをとっても素晴らしかった。(ただ、失点の場面ではドイツの選手のオーバーラップのカバーに入るため、マークしていた選手から離れたあと、その選手のカバーに味方選手が入ってこなかったため失点してしまったが)
ブラジルのオーバーエイジ選手であったボランチのレナトの素晴らしさはもちろんだが、そのこと以上にあのようなタイプのあのようなレベルの選手が次々と現れてくるブラジル・サッカーの力を感じてしまった。今の日本で、仮にレナトのレベルの選手が現れたとしても、特別な才能を持った特別な存在としかならないのではないだろうか。ブラジル・サッカーの質と量、歴史、文化にはただただ圧倒されてしまう。

完全アウェーのドイツもすごかった。流れの中でブラジルに得点させない集中力。パスワークで、ブラジルの守備を破る攻撃力。それを完全アウェーのマラカナンで表現できる力は、どこから湧いてくるのだろうか。得点シーンで、突然全力でオーバーラップを始めたドイツのサイドバックの選手は、そのスイッチをどうやって入れるのだろうか。あの大歓声の中では、誰かの指示でオーバーラップしたのではないだろう。まるで、100メートル走のピストルが鳴ったかのようなスタートであった。

イエロー・カードは何枚か出たが、汚いプレーの全くない、素晴らしいゲームであった。この試合を観ただけで、私の今日は終わってしまった。残りの時間は、その余韻に浸りながら過すことになるだろう。サッカーを好きになったおかげで、幸せになれた一日である。



  


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2016年08月15日

リオ・オリンピック 観戦記 その3

1次リーグの最終戦、スウェーデンには勝ったものの、決勝トーナメントには進めなかった。お盆の行事でざわざわしていたため、最終戦の感想を書くのが遅くなってしまったが、第2戦までの観戦記では中途半端に終わってしまうので、少し時間がかかってしまったが、最終戦を観て考えたことをまとめておこうと思う。

3試合を通じて素晴らしいと思ったのは、攻撃から守備への切り替えの早さである。ボールを失うと、前線からよくボールを追いかけていたと思う。さらに、そのことが体力的にきつい試合の終盤まで続けることができたことは、これからも日本サッカーのベースとして、どのレベルのサッカーでも取り入れていくべきスタイルだと思った。

残念なのは、終わってみれば、「あの1点、この1点」と振り返ってしまうことが現実になってしまったことだ。「あの失点がなかったら」、「このシーンでゴールが決まっていたら」、決勝トーナメントに進めたのに。ナイジェリア戦に引き分けていたら、コロンビア戦に勝っていたら…。「あの1点、この1点」を乗り越えるためには、何が必要だったのか。

試合後のインタビューで、日本チームのキャプテンが何度も「ちょっとした差」、「ちょっとした違い」を口にしていたように感じた。日本代表チームのキャプテンがなぜあのような発言をするのだろうか、不思議な気がした。その「ちょっとした差」こそが決定的な差であることは、日本代表チームのキャプテンともあろう選手には、わかっているはずなのに。その「ちょっとした違い」を乗り越えることが、どんなにたいへんなことかもわかっているはずなのに。
日本は、アジアではトップ・クラスのレベルまで到達することができた。それは、単に代表チームの強化で手に入れたポジションではなく、Jリーグの創設はじめ、底辺からの日本サッカー全体の取り組みの中で、やっと到達した場所であることは、サッカー関係者なら誰でもわかることだ。ということは、オリンピック・チームの「ちょっとした違い」は、代表チームの課題ではなく、日本サッカー全体の課題であることは明白だ。この「ちょっとした差」を乗り越えるために、日本中のサッカー関係者が膨大な努力を続けていくことが必要だ。

体操競技の内村選手が、団体戦の最終の鉄棒演技でものすごい演技をした。大会前から「団体で金メダル」を目標にしていて、あの演技である。テレビの解説者は、あの状況、あの場面で、あの演技ができるのは、これまで厳しい状況を何度も経験してきたからだ、というような意味のことを話していた。サッカーのオリンピック・チームは、なぜ「あの1点、この1点」の「ちょっとした差」を、体操の内村選手のように乗り越えられなかったのか。競技人口では、圧倒的に多いはずのサッカーが、体操競技の選手よりも真剣勝負の場が少ないのだろうか。サッカーのオリンピック代表選手たちは、厳しい状況を何度も経験しないままに、代表選手に選考され、オリンピックに臨んだのだろうか。
私がスペインのバレンシアに滞在したのはたった2週間であったが、その短い期間で感じたのは、底辺レベルからのサッカー・プレーヤーの密度の濃さであった。同じレベルのプレーヤー層の厚さ、その中からトップ・レベルに上がっていくには、単にサッカーの資質が優れているだけでは難しいだろうなあと想像させられるものであった。日本は、まだまだ、サッカーがうまいだけでトップ・レベルに上がっていける状況なのではあるまいか。

日本のサッカーが、世界との「ちょっとした違い」を乗り越えて、サッカーの一流国になっていくためには、バレンシアで感じた層の厚さを日本で実現していくよりほかに方法がないと考える。だから、私たちのような底辺レベルのサッカーが、もっともっと努力して層を厚くしていかなければならない。これが、今回のオリンピックでの日本代表チームの試合を観た私の総括です。みなさんはどんな感想を持ちましたか。
  


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