2019年08月06日

“楽しむ”って、どういうこと?

7月30・31日の二日間、バレンシアCF育成部門の所属コーチによる「VCFサマー・クリニック」に、ソラティオーラの小学3年生から中学1年生とバレンシア・アカデミー和歌山校生が合わせて約70人が参加しました。このイベントは、今年で16回目を迎えました。参加者にとっては、本場バレンシアCFで実際に行われているトレーニングを実際に体験する貴重な機会になっているし、ソラティオーラのコーチ陣にとっては、スペイン式の指導方法を学び、自分の指導力を磨いていくまたとない機会になっています。
今年来日された、アルフレド・ラモス・コーチは40歳で、UEFA PRO(ヨーロッパ最高位のコーチ資格)の資格を持ち、アメリカやイタリアでも指導経験のある、とても明るく愉快な性格のコーチでした。また、スペインでもよく日本食を食べるということで、箸の使い方もとてもこなれていました。
“楽しむ”って、どういうこと?

私が直接担当しているバレンシア・アカデミー和歌山校生が受けたセッションでは、ラモス・コーチから何度も“¡Perfecto!”(完璧!)と声がかかって、とても嬉しかったです。中谷コーチからも、和歌山校のアカデミー生は、明らかに進歩している。この調子で続けていってもらいたい、と言っていただきました。和歌山校のコーチとして、指導メソッドに自信を持ち、同時に大きな責任をあらためて感じました。アカデミー生のみんなと、もっともっとレベル・アップを目指していきたいという決意も新たにしました。
ところで、ラモス・コーチにバレンシアCFの指導方針を少し聞かせてもらった時に、プレーヤーが“disfrutar”することがとても大切だと言っていました。「楽しむ」という意味ですが、意味は、私たちが普通に使う「楽しむ」とは、少し違うように思いました。
“楽しむ”って、どういうこと?

テレビで私たちが見聞きする「楽しむ」というのは、例えば、こんなシーンです。「優勝できてうれしいです。全国大会では、もっと楽しんできたいと思います。」とか、「今日は勝てて良かったです。次の試合も楽しみたいです。」とか、「オリンピックという大舞台を思い切って楽しみたいと思います。」とかです。「ここまで、苦しい練習に耐えてきました。」とか、「しんどくて何度もやめたいと思ったけれど、頑張ってきて良かった」というインダビューはよくあるけれど、「ずっと今日までトレーニングを楽しんできました」とか、「ワールドカップ本番までの道のりを楽しみたいです」というインダビューはあまり聞いたことがないですね。
私が感じてしまうのは、「楽しむ」のは、しんどいトレーニングの先にあるものであったり、緊張を無理にほぐすためのまじないのような言葉が「楽しむ」に無意識のうちに込められた意味合いではないかということです。ラモス・コーチが“disfrutar”という言葉を使う時の文脈は、明らかにそれとは違います。
“楽しむ”って、どういうこと?

手元の和西辞典で「楽しむ」を調べると、“disfrutar”と“divertir”という言葉が出てきます。“divertir”は、楽しませる、気を晴らすという意味の他動詞です。“Esa película me divirtió mucho.”(その映画は大変面白かった。=その映画は、私を大変面白がらせた。)という例文が載っています。私の解釈では(間違っているかもいるかもしれませんが)、“divertir”は、何かの刺激にに対して、受け身的に「楽しむ」という意味なのかなと思います。
一方、“disfrutar”は自動詞で、用例として“disfrutar con una película”(映画を楽しむ。conは、英語のwithのような言葉=私は、映画という手段で楽しむ)が載っています。自分が自らの意思として何かの対象に対して主体的、積極的に働きかけ、その行為自体を「楽しむ」という意味合いがあるのではないかと考えています。
「楽しむ」ことができるのは、苦しいトレーニングを乗り越えた先にあるものという考えではなくて、日々のトレーニングそのものを「楽しむ」。全国大会とか、オリンピックなどのひのき舞台を楽しみたいと思ったら、毎日の厳しいトレーニングにひたすら耐えなければいけない、という文脈での言葉ではなくて、プレーヤーが日々のトレーニングやサッカーに関するすべてを自分の主体的な意思として「楽しむ」。そのためのサポートをするのがコーチの役割である。特に、育成年代にあってはそうでなければならない。ラモス・コーチが見せてくれたバレンシアCFの指導方針の図解にあった“disfrutar”とは、そんな意味ではないかと考えました。
“楽しむ”って、どういうこと?

私たち、育成年代のコーチは、自分が行うトレーニングが、小中学生プレーヤーが自分から主体的に積極的に取り組もうと思ってしまう内容になっているか、プレーヤーが“やらされ感”を持ってしまうトレーニングになっていないか、しっかりと見直していきましょう。プレーヤーが“disfrutar”しているかどうかは、トレーニングしている時のプレーヤーの目を見れば誰でも分かります。例えば、小学生プレーヤーが二人一組対面のコントロール&パスの練習を何分間も“disfrutar”できるでしょうか。そんな練習を続けていくことで、私たちがプレーヤーから“disfrutar”する経験を奪って、スポーツとは、苦しいことを乗り越えていくものという感覚をプレーヤーに刷り込んでいることはないでしょうか。
ソラティオーラでのトレーニングやゲームなどすべての活動を、小中学生のプレーヤーが“disfrutar”しているか、そこにこそ、ソラティオーラが他のクラブとの質的差異を生み出し続け、“100年クラブ”への道を歩み続けていけるかどうかがかかっていると、私は今考えています。



Posted by Okuno at 16:19│Comments(0)
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