2019年06月10日

お願い

同じソラティオーラ和歌山のホームページ内の「ソラティオーラU-12」のブログに、ソラティオーラU-12アカデミー・コースに関連する記事を掲載していますので、そちらもぜひご覧ください。

2019年度のソラティオーラU-12チームの活動を引き続きそちらで紹介していく予定ですので、よろしくお願いいたします。  


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2019年05月25日

私は“ソラティオーラ”-その2-

ソラティオーラの春の2大イベントが、今年も無事終了した。
「アウトドア・パーティー」と「歩っとウォーク」である。

「アウトドア・パーティー」は、今年も黒沢ハイランドさんのご厚意で、特設会場を設定していただき、4月29日(月・昭和の日)に開催した。
ソラティオーラ会員が家族一緒に一堂に会して、カテゴリーを超えて親睦を深める目的で行っているBBQパーティーだ。

今年は、天候がたいへんややこしく、いつ雨が降り出してもおかしくない空模様ではあったが、およそ220人の会員とその家族が参加してくれた。200人を越える人数が一緒にBBQを楽しんでいるのは、壮観だ。
参加者全員で、「今年度もみんな一緒にサッカーを楽しみましょう!」と乾杯した後、新緑の高原でのバーベキューでお腹を膨らませ、芝生の上でのソリ遊びやボール遊びで腹ごなしをして、最後はいつものビンゴ大会で大盛り上がり。



「今日は、たくさん参加してくれてありがとうございました。これからもソラティオーラをよろしくお願いします。ゴミや忘れ物のないように気を付けて帰ってください。解散します。」と、言い終わった直後に、ポツポツと雨粒が落ちてきた。天の神様は、「アウトドア・パーティー」が終わるまで、雨を降らすのを待っていたくれたんだ、と思わざるを得ないタイミングだった。

そう、私は“ソラティオーラ”。
私はソラティオーラの一員だし、私の家族もソラティオーラの一員だ。ソラティオーラは私そのもの、ソラティオーラが存在しない私の生活なんてとても考えられないし、私のいないソラティオーラも同じように考えられない。
それが、『私は“ソラティオーラ”』ということ、そう考えてくれる会員が一人でも多くいてくれることを願っている。

二つ目のイベントは、「歩っとウォーク」へのクラブを挙げての参加だ。実行委員会の一構成団体として、地元を盛り上げる活動に参加できることを嬉しく思い、毎年参加している。
それぞれのカテゴリーで、土・日曜日のいずれかに原則全員参加で、ソラティオーラのシャツを着て歩くことにしている。
今年は、キッズ、小学1・2・4年生、アカデミー・コース、KFCジュニア(6年生)、エンジェルス(中学生)が土曜日に参加した。
KFCジュニアは、この日最長距離の24Kmコースに挑戦してくれた。
小学3年生とKFCソラティオーラ(5年生)は、日曜日に参加した。
KFCシャウト(一般女子)は、フランクフルト・ソーセージとかき氷の模擬店を出して、イベントを盛り上げてくれた。



歩いている途中で、あちこちでソラティオーラのシャツに出会う。みんな、頑張っているな。小さい子でも、思ったより早く歩いている子がいる。学年が上でも、日ごろあまり長い距離を歩かないのか、サッカーの時よりしんどそうにしている子もいる。
私も、少し疲れてきた。でも、ゴール・インまでもう少し。日ごろ偉そうに子どもたちに指示しているのにしんどそうな素振りを見せるわけにはいかない。頑張ろう。

そう、私は“ソラティオーラ”。
みんな一緒の“ソラティオーラ”。仲間がたくさんいるのは、心強いし、楽しい。

『私は“ソラティオーラ”』というのは、私の帰属意識を示す言葉だし、私のアイデンティティを示す言葉だ。
『私は“ソラティオーラ”』だと感じている仲間が集まると、『私たちは“ソラティオーラ”』になる。
日々のクラブの活動の中で、『私たちは“ソラティオーラ”』と感じてくれる仲間の輪がどんどん大きくなっていってくれることを願っている。
その一歩一歩が、『100年クラブ』につながっていくと確信している。

みなさん、これからもずっとソラティオーラでいっしょにサッカーを楽しみましょう!


  


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2019年04月24日

わたしは、“ソラティオーラ”

どのクラブでも、学校でも、会社でも、日本では4月から一斉に新しいシーズンが始まります。
4月病5月病という言葉があるように、少し時間が経ったときに、今回の選択は自分にとって良かったのだろうかという不安が浮かんでくることは、誰にもあるだろうと思います。サッカークラブを選ぶということであっても、このシーズン、自分はこのクラブで、このチームで、このカテゴリーで大好きなサッカーをしていくことは良い選択だったのだろうか。自分が想像していた活動内容のイメージと違うな、もっと他に良い選択があったのではないだろうか、そんなことを考えている人もいるかもしれません。

自分の子どもが所属するクラブを初めて選ぶとき、今までのクラブから他のクラブに移ろうとするとき、何を根拠にしてどう決断しますか。ネットや口コミで事前に情報を得て、見学や体験参加をしてから決めることも多いと思いますが、それでも最終判断は論理的な部分以外のいわば“賭け”の要素が必ず残ってきます。それは、進学先や就職先を決める時や、ひょっとするとパートナーを決める時も同じかもしれません。

クラブ選びは、最終的には、「このクラブを信頼して、子どもを預ける」ということにしかならないと思います。どんな選択でもあらゆる要因を計算して、将来を見通すことはできません。また、人生は一度きりですから、実験をして検証することもできません。私たちが生きていく間に経験するあらゆる選択は、最後は“賭け”でしかないのです。もちろん、明らかに間違った選択肢は見つけることができ、それを排除することはできますが、一番正しい選択肢を事前に決定することは不可能です。そんな不可能に挑戦するより、もっともっと大切なのは、選んだ選択肢を後悔しないためには、これを選んで良かったと後から思えるように頑張るしかないのです。結果的に、その選択肢が良かったと思えるかどうかは、自分の努力と運にかかってきます。

私たちクラブの運営側には、保護者の方から信頼して預けてもらえるクラブであろうとする努力が必要です。ソラティオーラには、誰でも参加してもらえるクラブを作ろうという、自ら設定したミッションから、男女、年齢、レベルに応じたいくつかのチームやカテゴリーに分かれて活動しています。自分のニーズに合ったチームやカテゴリーでサッカーを楽しんでもらうためです。そして、折に触れてさまざまなクラブ内の交流も行ってきました。クラブ内の別のチーム、カテゴリーであっても、同じソラティオーラの仲間であるという帰属意識と一体感を持ってもらいたいからです。その結果が、日々の活動そのものから醸し出されるクラブの雰囲気であり、歴史を作り、風土を育てていくのだと思います。その眼には見えないものこそに賭けてもらえるクラブでありたいと願っています。そのようにして、クラブはここまであり続けることができ、まもなく創立50周年を迎えるところまで来ることができました。私たちが依って立つことができ、信頼して賭けてもらえると自信を持って考えているものは、この“クラブの空気感や香り”です。

それでも、たまにはクラブの思いと保護者の思いには、微妙な齟齬が発生することがあります。ソラティオーラ和歌山では、それぞれの間に信頼関係があっても、いつ発生するかもしれない齟齬をできるだけ小さい間に見つけて、対応していくためにも、年に一回会員の全体会を開いてクラブの歴史や活動方針、財政状態や現況を説明し、会員の皆さんの要望を聞かせていただいて、今後の活動に反映させていくことにしています。そのような会議を設定しているのは、ドラッカーが“組織は戦略に従う”と言った精神からです。会員の皆さんのさまざまなご意見やご要望を聞かせていただき、会員が何かしら不安に思われる要因には早急に対応し、クラブの発展のためにプラスになると思われるものはできるだけ取り入れていきたい、そのような考えから設定している「全体会」です。クラブの基本理念や活動方針を提示し、賛同してくれる人に加入していただき、それでも行き違いが生じればできるだけそれが小さいうちに解消していきたいという考えからの会議の設定です。

しかし、それはクラブという組織の性格上、クラブから提示する理念や戦略や活動方針の大枠の中での対応になります。これを外れる対応は、かえってクラブの存続を危うくすることになりかねません。会員の皆さんに納得していただくほかないというものが必ず残ってきます。そのクラブの基盤として外れることができないものに、どうしても納得していただけない場合は、それぞれが自分の思いと合致する運営をしていると思われる新たな選択肢を探してもらうしかありません。もちろん、私たちは、一度結んでいただいたご縁を大切にし、一緒にサッカーを楽しんでいってもらえることを心から願っていますし、そのようなクラブであり続けようとする努力も続けていきます。

私たちは、会員の皆さんから寄せていただいたご要望について、全スタッフで真摯に話し合い、その上で出した結論については、必ずすべての会員にとってメリットになり、また、子どもたちの成長につながるという確信をもってクラブの運営に当たっています。
会員の皆さん、この点をどうかご理解していただいて、今シーズンもソラティオーラ和歌山で『100年クラブ』を目指して一緒にサッカーを楽しんでいきましょう。
  


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2019年04月07日

陽春に映える、鮮やかなバレンシアカラー!

バレンシア・アカデミーに参加しているソラティオーラ会員で、第14回下津カップに参加させていただいた。世界各地のバレンシア・アカデミーの子どもたちが身につけているのと同じバレンシアカラーのユニフォームが、この春一番の強い日差しを受けて輝いた。

試合は、1-2野上、0-4保田と残念な結果に終わったが、5年生が1人、4年生が8人、3年生が1人というチーム構成の中で、アカデミー・コースのスタートとしての方向性を子どもたちに体験してもらうという目的は、一定果たせたかなと評価している。

試合前に子どもたちに示した試合のテーマの中心は、次の三点。
◇コンパクトな陣営で、激しくボールを奪いにいく。どんどんボールにチャレンジし、2人目がしっかりカバーする。
◇ボールを奪ったら、外へつなぎ、タッチライン沿いにタテに展開する。
◇最終ラインの突破は、スペースにパスを出し、そこに走りこむ。

しかしどんなチームでも試合前のミーティングの言葉だけで、ゲーム・プランがチームとして機能することはまずない。結果、試合中ひっきりなしにコーチングし続けるという醜態を晒すことになってしまったのは、今後ちょっと考えなくてはいけないかなと思っている。

私の意図は、プレーヤーをベンチサイドから操ることでは決してない。例えば攻守の切り替え時に、ほんの少しの時間もはさむことなく、チームが有機体として一つの意思を持ってボールを積極的に奪いにいくことで、瞬時の判断力というより、瞬時の反応力や高い集中力を持ったプレーヤーに成長していってもらいたい。私の意図はそこにある。

もちろん最終的には、個々のプレーヤーの能力に行き着く部分が出てくるだろうが、目指しているものは、世界基準のサッカーに要求されるきわめてベーシックな資質であり、どのプレーヤーでもトレーニングや試合を通じて、自分なりに身につけていける資質であり、反対にどんなに身体能力に優れたプレーヤーでも、コーチやクラブにより導かれないと、その資質は磨かれてプレーに表れることはないだろう。

もう一点、体の動きと精神の動きは連動しているということだ。サッカーで絶対に必要な集中力と俊敏な体の動きはつながっている。両足を肩幅に開いて立ち、左手を腰に当て、右手の人差し指を立てて右上に伸ばし、顔は空を見上げる。このポーズでしゅんとなることは普通の人にはできない。元気を出したいときには、まずこのポーズを取ってみる。気持ちがポーズに表れるのではなく、ポーズが感情を作り出す。いつか読んだ本に書いてあったことだ。犬は、元気のない時は頭と尻尾を垂れる。力強く吠える時は、必ず頭を上げている。

高い集中力は瞬時の反応とチームの有機的な動きを生み出すのは間違いないが、その逆のボールにどんどんチャレンジし、カバーリングを要求することで、高い集中力と連動をもたらし、個々の資質が磨かれていく。そのための絶え間ないコーチングであった。


試合前にも子どもたちに話したが、バレンシアCFのエンブレムを身につけてプレーすることに大きなプライドと夢を持って、世界基準を目指していってもらいたいし、私自身もそこに責任とやりがいを持って指導に当たりたいという気持ちを新たにした試合であった。
  


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2019年04月02日

パナソニック・スタジアム、ここは日本か?

新しい元号が「令和」になることなど、当たり前だが誰も思いつきもしない3月30日、Jリーグのチケットをもらって、パナソニック・スタジアムにガンバ対ヴィッセルの試合を観に行った。
パナソニック・スタジアムへ行くのは初めてなので、どうやって行こうかと思案していたが、息子がモノレールの門真市駅の近くまで車で行って、そこからモノレールを使ったと教えてくれたので、「老いては子に従え」と言うし、そうすることにした。ナビに従って運転していても、なぜか目的地近くになると間違ってしまう。この日も、やっぱり門真市駅直前で交差点を直進したいのに、道路は左折オンリー。訳が分からなくなったが、この日はついていた。元の地点に戻ろうとしていると、偶然24時間最大500円というコイン・パーキングを見つけたので、駅まで少し距離はあったがそこを使わせてもらうことにした。モノレールは、乗り換えなしで万博記念公園駅に20分で着く。便利だ。駅からスタジアムまでは徒歩15分と案内にあった。

素晴らしいスタジアムだった。席はアウェイ側のゴール裏2階席だったが、1階席の上に覆いかぶさるように作られていて、サッカー専用なのでピッチまでが近い。長居のゴール裏よりはるかに見やすい。2階席の上には屋根が張り出しているので、雨が降っていたが、観戦中に濡れる心配もない。対戦相手がイニエスタなどのいるヴィッセルということもあって、観客数はスタジアム最多の37,000人を超えた。
こんなスタジアムが日本に作られる日が来ているとは、長生きはするものだ。はるか昔、バレンシアCFが親善試合で来日した時、たしか大阪球場だったと思うが、野球場で観戦したことを思うと眩暈がするほどだ。
ただ、終了後の観客誘導は、もう少し気を使ってもらいたいと思った。大勢の流れについていくと、モノレールの駅とは全く反対の方向へ向かっていた。途中でおかしいと思って警備の人に尋ねると、イチローがバッティングに入る時のルーティーンのフォームみたいに、憐みをたたえた表情で、指示棒で元来た方向を指してくれた。情けない思いをしたのは私たちだけでなかったのが、せめてもの慰めだった。見知らぬ人と突然仲間として感情を共有できるということも経験できた。
ところで、この全く素晴らしいスタジアムは、私たちのサッカー文化の成熟度をどれほど表しているだろうか。サッカー先進国の状況と言っても、人にうんちくを垂れるほどの知識もなにもないのだが、二度訪問したことのあるバレンシアでは、バレンシアCFのメスタージャ(55,000人収容)と、レバンテUDのシウダ・デ・バレンシア(約26,000人収容)が歩いて30分ほどの距離にある。ガンバとセレッソのホーム・スタジアムが徒歩圏内にあるということだ。しかも、メスタージャはかなり古くなっている。それだけの歴史を持っている。
そんなことは言ってもどうしようもないことだが、そのようなスタジアムを建設させる文化というか、建設のバックボーンとなる社会的背景を私たちはまだまだ蓄積できていないように感じる。その社会的圧力は、阪神タイガースを支える熱気にはまだまだはるかに及んでいないだろう。そんな空気を私たちサッカー・ファンは、日々の活動の中でもっともっとはぐくんでいく役割を担っている。しかも、私たちの地元は、大阪からもさらに距離がある。和歌山の皆さん、お互いもっと頑張りましょう。
さて、試合はやっぱり一流の外国人の力か、という結果で終わってしまった。さらに、この試合に限って言えば、宮本監督はまだまだ若いね、という感じだった。2点リードしている前半終了間際、それまでほとんど仕事らしい仕事をさせていなかったポドルスキにCKのこぼれ球を豪快に決められて、1点差にされた上にポドルスキを生き返らせてしまった。さらに、途中出場の田中順也に2点奪われての大逆転負け。
2点リードした前半から、宮本監督はこの試合をどのように終わらせるのかな、選手交代できるプランを持っているのかなと思いながら観ていたが、結局後手後手に回った対応しかできなかった。リージョの凄さを見せつけられた。
最後に、イニエスタの印象を一言だけ。初めてプレーを生で見たが、凄いという印象よりは不思議な印象のほうが強かった。意外性のあるパスも何本か出すので、周囲をよく見ているのだろうが、いつ見ているのか、私とのいる2階席からはよく分からなかった。いつ、どのように周囲の状況を把握しているのだろうという不思議さを強く感じた。
書き残しておかないと、この感動もすぐに忘却の彼方に去っていってしまうので、ブログに掲載させていただきました。
  


Posted by Okuno at 17:03Comments(0)