2016年08月15日

リオ・オリンピック 観戦記 その3

1次リーグの最終戦、スウェーデンには勝ったものの、決勝トーナメントには進めなかった。お盆の行事でざわざわしていたため、最終戦の感想を書くのが遅くなってしまったが、第2戦までの観戦記では中途半端に終わってしまうので、少し時間がかかってしまったが、最終戦を観て考えたことをまとめておこうと思う。

3試合を通じて素晴らしいと思ったのは、攻撃から守備への切り替えの早さである。ボールを失うと、前線からよくボールを追いかけていたと思う。さらに、そのことが体力的にきつい試合の終盤まで続けることができたことは、これからも日本サッカーのベースとして、どのレベルのサッカーでも取り入れていくべきスタイルだと思った。

残念なのは、終わってみれば、「あの1点、この1点」と振り返ってしまうことが現実になってしまったことだ。「あの失点がなかったら」、「このシーンでゴールが決まっていたら」、決勝トーナメントに進めたのに。ナイジェリア戦に引き分けていたら、コロンビア戦に勝っていたら…。「あの1点、この1点」を乗り越えるためには、何が必要だったのか。

試合後のインタビューで、日本チームのキャプテンが何度も「ちょっとした差」、「ちょっとした違い」を口にしていたように感じた。日本代表チームのキャプテンがなぜあのような発言をするのだろうか、不思議な気がした。その「ちょっとした差」こそが決定的な差であることは、日本代表チームのキャプテンともあろう選手には、わかっているはずなのに。その「ちょっとした違い」を乗り越えることが、どんなにたいへんなことかもわかっているはずなのに。
日本は、アジアではトップ・クラスのレベルまで到達することができた。それは、単に代表チームの強化で手に入れたポジションではなく、Jリーグの創設はじめ、底辺からの日本サッカー全体の取り組みの中で、やっと到達した場所であることは、サッカー関係者なら誰でもわかることだ。ということは、オリンピック・チームの「ちょっとした違い」は、代表チームの課題ではなく、日本サッカー全体の課題であることは明白だ。この「ちょっとした差」を乗り越えるために、日本中のサッカー関係者が膨大な努力を続けていくことが必要だ。

体操競技の内村選手が、団体戦の最終の鉄棒演技でものすごい演技をした。大会前から「団体で金メダル」を目標にしていて、あの演技である。テレビの解説者は、あの状況、あの場面で、あの演技ができるのは、これまで厳しい状況を何度も経験してきたからだ、というような意味のことを話していた。サッカーのオリンピック・チームは、なぜ「あの1点、この1点」の「ちょっとした差」を、体操の内村選手のように乗り越えられなかったのか。競技人口では、圧倒的に多いはずのサッカーが、体操競技の選手よりも真剣勝負の場が少ないのだろうか。サッカーのオリンピック代表選手たちは、厳しい状況を何度も経験しないままに、代表選手に選考され、オリンピックに臨んだのだろうか。
私がスペインのバレンシアに滞在したのはたった2週間であったが、その短い期間で感じたのは、底辺レベルからのサッカー・プレーヤーの密度の濃さであった。同じレベルのプレーヤー層の厚さ、その中からトップ・レベルに上がっていくには、単にサッカーの資質が優れているだけでは難しいだろうなあと想像させられるものであった。日本は、まだまだ、サッカーがうまいだけでトップ・レベルに上がっていける状況なのではあるまいか。

日本のサッカーが、世界との「ちょっとした違い」を乗り越えて、サッカーの一流国になっていくためには、バレンシアで感じた層の厚さを日本で実現していくよりほかに方法がないと考える。だから、私たちのような底辺レベルのサッカーが、もっともっと努力して層を厚くしていかなければならない。これが、今回のオリンピックでの日本代表チームの試合を観た私の総括です。みなさんはどんな感想を持ちましたか。



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