2016年08月08日

リオ・オリンピック コロンビア戦を観て

第2戦も勝てなかった。最終戦のスウェーデンに勝てば、決勝トーナメント進出の可能性も残されているが、前提になるのは、コロンビアがナイジェリアとの試合を引き分け以下の結果に終わることだ。

試合前、民放テレビでは、「ひどい試合で1-0で勝つよりは、美しい試合で2-3で負けるほうが良い」というような内容の、クライフの言葉を画面で流していた。ナイジェリア戦を1-0で勝つより、4-5で負けたほうが良いとでも言うかのように。これを見た瞬間、チャンネルをNHKのBS1に変えてしまった。クライフの言葉は、常に美しいサッカーで勝ち続けているチームが、たまに2-3で負けた時にだけ重みがある言葉だろうと私は思う。メダルに近づくためには初戦の勝利がなにより大切であると監督自身が話していた試合を、4-5で負けた試合の後で紹介する言葉では決してないと私は思う。

コロンビア戦、0-2とリードされた後、浅野のゴールで1-2とした時、NHKのアナウンサーは、「これが日本の底力だ!」と叫んだ。私は、その言葉は、3-2に逆点した時にいうことだろうと思ってしまった。なぜ、「1点では意味がない、早く次の1点を取れ、逆点して日本の底力を見せてくれ!」と叫ばないのだろうか。

試合の最終盤、南野の浮き球のパスを浅野が胸でコントロールし、シュートを打とうとしたところ、前に出てきたGKと接触してゴールがならなかったシーンで、解説者が南野のパスの素晴らしさと、浅野のコントロールの絶妙さを褒めていた。きれいなシーンには違いなかったが、試合当事国の放送としては、素晴らしいプレーを褒めるのではなく、それがゴールにつながらなかったことの残念さを、まずは口にしてほしかった。それが応援するということだろう。

この大会が、振り返ってみれば、“あの1点、この1点”ということにならなければよいのにと心から思う。スウェーデンに負けてしまえば、そんな言葉にさえならないのであるが、コロンビアがナイジェリアに引き分けたのに、日本がスウェーデンに引き分けてしまった場合など、「あのシーンのあの失点がなかったら」とか、「このシーンでシュートが決まっていたら」とかいう言葉が出てきてしまう結果にならなければよいのにと思う。
『過去の事実を変えることはできない。しかし、過去の事実の意味を変えることはできる。ストーリーが語られるのは、常に未来においてである。』
天も味方して、ナイジェリアと日本がともに最終戦に勝ち、両者が決勝トーナメントに進出した時、それまでの試合で、シュートがバーを叩いたこともオウン・ゴールも、日本が予選リーグ敗退に終わった要因としての意味ではなく、乗り越えられたハードルとしての意味を持つことになる。そして、意味を書き換えることができる立場にいるのは、直接的には、私たちを代表してリオで戦っているオリンピック・チームである。
頑張れ、日本!



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