2018年06月18日

テクノロジー

 ワールドカップが始まった。ワールドカップのことを知ったのは、いつのことだったろうか。
 初めてテレビでワールドカップの試合を観たのは覚えている。高校2年生の時だったから1971年だ。その年にワールドカップは開催されていない。その通り。前年のワールドカップを「三菱ダイヤモンドサッカー」という番組がサンテレビで放送されていたのだ。和泉山脈にさえぎられて和歌山にサンテレビの電波は届かない。新聞のテレビ放送欄を見ながら毎週情けない思いをしていたが、ついに決心した。泉南市の母方の親戚の家にテレビを見せてもらいに行くことにした。放送は、月曜日夜10時から確か45分間だったと思う。放送が終わってから、家に帰る電車がないから泊めてもらうしかない。翌日は学校がある。何試合も見せてもらいに行くことはできない。どの試合を見せてもらいに行くか、熟慮の末、準決勝西ドイツ対イタリアの延長戦を見せてもらいに行った。ベッケンバウアーが肩を脱臼して包帯姿も痛々しく、しかし、端正な姿からは想像できないゲルマン魂を発揮して最後まで戦った、あの伝説の一戦だ。親戚の家の人は、もちろんワールドカップには無関心だった。「よく来たなあ」というのは、多分あきれて言ったのだろうと思った。翌朝始発電車でも学校に少し遅刻した。高校時代遅刻したのは、その時だけだった。
 1978年のワールドカップが近づいてきた時、私はまだ高校の非常勤講師だった。家庭用ビデオ機器が発売されていた。VHS方式とβ方式がしのぎを削っていた。私は、テープの嵩が小さいβ方式の東芝製品を買った。20万円ほどした。近所ではどこの家にもなかった。地球の裏側で、軍事政権下、マシンガンに守られながら行われているアルゼンチン対オランダの決勝戦を夜中にライブで初めて観た。狭い家では、私が音量を絞って声も出さずにテレビを見ているすぐ横で家族は眠っていた。
 そのワールドカップで今大会、ゴールライン・テクノロジーとVARが導入された。早速、フランス対オーストラリア戦で、効果というか、決定的な影響を発揮したのは、周知のとおりだ。ルールがますますわからなくなっている。私がそのテクノロジーを採用した試合でレフェリーをすることは当然ないのだが、ルールとして誰か教えてください。PKかもしれない微妙なシーンからプレーが続き、反対側のゴールに明らかな得点が決まったらどうなるのでしょう。VARでその前のプレーがPKだと判定されたら、その後のゴールは取り消されるのでしょうか。
そこまで“正確”な判定が、人間のプレーの判定に必要なのか。“referee”は、「調停者、仲裁人」と辞書にはある。“judge”(裁判官)ではない。スペイン語の“arbitro”も「調停者、仲裁者」とある。競技規則(ルール)に基づいて両チームの調停・仲裁をするのが本義だ。ルールを厳格に適用すべきjudgeとは、質が違うのではないか。
 ルールを変えたらどうだろう。原稿競技規則では、第10条に「…ボールの全体がゴールラインを越えたとき…」得点とある。この第10条を『…ボールの全体が明らかにゴールラインを越えたと主審が判断したとき』得点とすれば、私にとって最大の遊びであり、喜びであるサッカーの本質を、テクノロジーでがんじがらめにされた瀕死の状態から簡単に救い出せるのではないか。ゴールライン・テクノロジーやVARという最新のテクノロジーを導入してまで、ルールの厳格な適用がサッカー、というよりスポーツに必要だとは私は思わない。今、ソラティオーラでサッカーを楽しんでくれている子どもたちは、大きくなったら自分もVARが導入されている大会でプレーしたいと夢見るようになるのだろうか? なんかAIに支配されている未来の社会を想像してしまって、怖くなる私は齢をとったのだろう。ワールドカップがやってくるたびに、私が40年以上前に大阪までテレビ放送を観に行ったことを懐かしく思い出しているように、今の子どもたちは、2066年のワールドカップを迎える時、ゴールライン・テクノロジーやVARが初めて導入されたロシア大会をどのように思い出すのだろう。
  


Posted by Okuno at 16:53Comments(0)